啓蟄の蟻が早引く地虫かな 高浜虚子
啓蟄が過ぎ、春が来るのかと思えば、寒の戻りで、また雪が降りました。
先週の陽気で雪もかなり溶けたというのに、先日の降雪

で、また真っ白の世界になりました。 今日は晴れて

、少しずつ溶けつつはありますが、明日も天気予報は

雪マーク。
三寒四温とはよくいったものです。 だけど、ちょっと「寒」が多すぎるんでないの?といった今日この頃。
ところで、先週日曜日 ドラマ「ゼロの焦点」をテレビ

で見ました。 本では読んだことがありますが、映像は初めて。
今まで2回映像化されているそうですが、今回見たのは2回目のほう。 小説などの映像化にはいつも伴う評判ですが、やはり物足りない。
特に、主人公の影が薄いのが、余計そう感じました。 主人公の配役のせいもあるかもしれませんが・・・ 脚本にも問題があると思いますが、当時の広末涼子では、やはりちょっと役不足な感じがしました。
今度の日曜日は「砂の器」だそうで、楽しみ

半分、また期待はずれ

か?半分です。
昔はよく本を読んだのですが、ここ数年はほとんど読んでませんね。 以前は、月に数冊、4~5ヶ月でみかん箱いっぱいになるほど本を買っていたものです。
松本清張氏の作品は私が初めて読んだ推理小説で、はじめは「点と線」。 その後、ゼロの焦点、Dの複合、などなど。
かなり読みましたね。 むろん この「砂の器」も話題作でしたから読んでいます。 これがきっかけとなり、一時 推理小説にはまったことがあります。
今や有名な森村誠一の処女作も読みましたし(当時処女作とは知らなかった)、東野圭吾の初期の作品、また 西村京太郎、斎藤栄、宮部みゆき、など現在の有名どころはほとんど読みましたね。 その後は海外物も・・・
さて、「砂の器」ですが、昭和35年5月17日から、読売新聞夕刊に掲載が始まり、昭和36年4月20日まで、約1年続きました。 その後、昭和36年7月、光文社のカッパ・ノベルスで刊行されました。
「砂の器」: 駅の操車場で起きた殺人事件を、東北訛りと「カメダ」という言葉を手がかりに追った松本清張氏の社会派推理小説。
ある夜、蒲田駅の操車場で一人の男の他殺死体が発見された。 被害者の身元は不明で、唯一の手がかりは東北訛りと「カメダ」という言葉のみ。
警視庁の捜査は難航を極め、一度は継続捜査となるが、捜査第一課の今西警部補とその部下吉村刑事は持ち前の粘り強さで、遠回りをしながらも真実に近づいていく。
今西刑事は、伊勢で犯人を割り出しますが、裏付けを取る為、犯人の本籍がある大阪市浪速区に向かいます。
朝の8時半に、今西栄太郎は大阪駅に着いた。 やがて商店街に入った。 どの店もまだ戸をあけていなかった。
「この辺の店は、きれいだね」 今西は外を見て言った。
「へえ、戦後、すっかり建て直りましたさかいな」、「すると、この辺一帯、空襲で焼かれたのかい?」、「へえ、そら、もうすっかり焼け野原になりましてん」、「いつの空襲?」、「それが終戦間際の、昭和23年3月14日でしたな」。
「B-29が大編隊で来よりましてな、焼夷弾の雨ですわ。 アメリカはんも、もうちょっと待ってくれはったら、この辺も助かりましたやろ」
今西刑事は、犯人の本籍地、大阪市浪速区に出向き、出生地と思われる付近の人々に出生の秘密を聞き出します。
タクシーで容疑者の本籍地、恵比須町へ向かう。 「お客はん。着きましたで」 今西が見ると洋服問屋の前だった。
「ここが、その番地かい?」、「へえ」。 今西は料金を払った。
彼は、降りた地点から、あたりを調べるように見まわした。 どの家も新しい。 戦前の古びた建築は一つもなかった。
同番地の洋服問屋は、「丹後屋商店」と看板に出ていた。 今西栄太郎は、「丹後屋」の主人から話を聞いた。
枯れ木のように痩せている60ばかりのこの老人は、大阪のこの土地に、父祖の代から住みついているのだと言った。 だから、この界隈のことなら、昔のことも詳しく知っていた。 今西はここで30分ばかり話を聞いて、外に出た。
丹後屋商店の主人の話の裏を取る為、浪花区役所の戸籍係を訪ねます。 区役所の中に大勢の人が動いていた。 戸籍係の前に出た。 窓口には、若い女事務員がいた。 今西は警察手帳を出した。
「ちょっと、うかがいますが」、「はい」、女事務員は顔を振り向けた。 「浪速区恵比須町2の120にこういう戸籍がありますか?」手帳ごと事務員にみせた。
ここで、今西刑事は、裏付けを取り、犯人を確信します。 この後、今西刑事は東京に戻り、犯人逮捕に向かいます。
さて、天下の松本清張氏の作品にケチをつけるわけではないが・・・ ここで意外な謎を発見をしました。
難波の浪速区役所。 殺人事件の解決に重要な役割を担うスポットである。 今は建て替えられて6階建てだが、旧庁舎は3階建て。 ここで戸籍原簿を閲覧した今西刑事が、某犯人説の決め手をつかむ。
戸籍原簿が、昭和20年の第一次大阪大空襲で焼失した事実、そのため和賀がニセの出生届を出せたことを・・・
しかし、「ちょっと待っとくなはれ、清張はん!」

と当時の戸籍係なら、言ったに違いない。
当時 戸籍原簿を収めた書庫の床下には穴蔵があった。 焼夷弾が降り注ぐ空襲の中、当時の職員が戸籍原簿をその穴蔵に放り込んだ という。(これは事実です)
その穴蔵というのは、以前あった病院の霊安室が地下室として存在していた。
そして、容疑者の本籍地、恵比須町から浪速区役所へ向かうタクシーの車中からの景色だが、「天王寺の坂を上りかけたとき、浪速区役所が見えた」とある。
また 浪速区役所へ行くのも「ゆるやかな勾配を上った・・・」とある。
浪速区役所は大阪湾よりの低地で、付近に勾配はない。 どうやらこの坂というのは、もっと東の上町台地付近を指すのではないか。 その描写に近いところは、JR桃谷駅よりゆるやかな勾配を上ると、区役所がある。
また、もう少し行くと、旧相愛学園横は急坂がある。(通称 学園坂) この学園坂 私は桃谷に祖母、叔母さんが居たので、よく通りました。
そこには昔から区役所は存在します。 しかし、そこは浪速区役所ではなく、天王寺区役所なのです。
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