今年は入梅が遅かったせいか、7日の七夕も全国的にぐずついたお天気になりそうで、星空

は期待できない模様です。
もっとも毎年梅雨

の最中なので、晴れる

確率が低いというデータがあります。 ただ、雨ではなく、曇の日が多いそうです。
天の川、楫の音聞こゆ、
彦星と織女と、今夜逢ふらしも
作: 柿本人麻呂 万葉集より
<天の川にかじの音が聞こえます。彦星(ひこほし)と織女(たなばたつめ)は、今夜逢うようです>
私が38年間住んでいた街の近くに、由緒ある七夕伝説の地域があります。
枚方・交野(かたの)市の「七夕伝説・織姫伝説」です。 枚方・交野市には「天の川」が流れています。
大阪府の東北部に位置する交野市から枚方市にかけては平安の頃、交野ヶ原と呼ばれ、貴族たちを魅了する風光明媚な狩猟地でした。
この一帯を流れる天野川は生駒山系に源を発し、生駒市、四條畷市を経て交野市、枚方市を流れ、淀川に合流する一級河川です。
天野川の名は、古代このあたりが甘くおいしい米が実る肥沃な野という意味で甘野と呼ばれていたことに由来して、甘野川とされていたのがいつしか天野川となったようです。
狩りくらし 棚機乙女(たなばたつめ)に宿からむ
天の河原にわれは来にけり
伊勢物語より 在原業平(ありはらのなりひら)
<狩をして日が暮れてしまったので、今夜は織姫の家に泊まりましょう。 天の川に来てしまったのだから>
同行していた紀有常(きのありつね)が、返歌にこう歌いました。
ひととせにひとたび来ます君待てば
宿かす人もあらじとぞ思ふ
<1年に1度訪れる彦星を待つ身であるから、宿は貸してもらえまい>
白く輝く川砂と澄んだ流れが空の天の川を思わせることから、天野川は多くの古典文学に書かれてきました。
天野川流域に残る七夕

ゆかりの痕跡も伝説発祥の地といわれる由縁です。
交野市の倉治には織姫(天棚機比売大神)を祀る機物(はたもの)神社があり、天の川をはさんだ対岸の台地に中山観音廃寺跡には牽牛(けんぎゅう)石があります。
そして、ほぼ中央の天の川に逢合(あいあい)橋という名の橋が架かっており、この橋で年に一度七夕の夜に二人が逢い、愛を誓い合うというロマンチック

な話が伝えられています。
また、天の川が淀川と合流する直前に架かる橋は、かささぎ橋と名付けられています。 鵲(かささぎ)という鳥が羽根を連ねて、2人の橋渡しをした」といい伝えにちなんだ、ロマン

にあふれる橋です。
他にも、織姫と彦星のイルミネーションがまたたく天津橋は人気スポット

となっています。
また 交野ヶ原には、星田妙見宮などに北斗七星

が降ったという降星伝説が残り、星ヶ丘、北極星

のある場所を意味する中宮など、天体にまつわる地名が集まる全国的にも珍しい地域です。
そして、天の川上流の磐船渓谷には物部氏の祖先神、饒速日命(ニギハヤヒノミコト)が天上より天の磐船で地上に降臨したという伝説をもつ磐船神社があります。
磐船神社の近くには大阪府民の森があり、キャンプ場があります。 手軽なハイキングコースとして府民に親しまれでいます。
途中 「くろんど池」などもあり、また 「星のブランコ」と名づけられた吊り橋もあります。
平安時代をすぎ、江戸時代になって、元禄2年2月11日、当地域を訪れた貝原益軒(養生訓で有名)は、その紀行文「南遊紀行」の中で次のように記しています。
『天の川の源は、生駒山の下の北より流れ出て、田原という谷を過ぎ、岩船に落ち、私市村の南を経、枚方町の北へ出て淀川に入る。獅子窟山より天の川を見下ろせば、
其川東西に直に流れ、砂川に水少く、其川原白く、広く長くして、あたかも天上の銀河(天の川)の形の如し、さてこそ比川を天の川とは名付たれ、
それ比所よりみざるさきは、只天の川の流れの末ばかりをわたりて、古人天の川と名付けし意を知らず、
凡諸国の川を見しに、かくのごとく白砂のひろく直にして、数里長くつづきたるはいまだ見ず。天の川と名付し事、むべなり・・・』
ゆえに 日本における七夕

伝説の発祥の地は、交野市から枚方市に広がる「交野が原」だとも言われています。
さて、明日の七夕は星空

が見られるでしょうか?